資本主義の次に来るもの

資本主義が終わる、という話を定期的に聞く。
定期的に聞くが終わっていない。
マルクスが終わると言い、リーマンショックで終わると言い、コロナで終わると言い、そのたびに少しだけ形を変えて続いている。
資本主義はしぶとい(褒めているのか貶しているのかわからないが、とにかくしぶとい)。

ただ、AIが出てきてから少し様相が変わってきた気がしている。
YouTubeでも話してきたように、資本主義の根幹は「希少なものに価値がある」という原理。
土地が希少だから地代が生まれ、労働力が希少だから賃金が生まれ、情報が希少だから知識産業が生まれた。

ところが、AIは情報の希少性を破壊する。
文章が、画像が、コードが、分析が一瞬で無限に生成される。
希少でなくなったものにこれまでの意味での価値はつかない。
では何が希少になるか。

拍子抜けするかもしれないけれど、「本物の人間が、本気で考えたこと」だと思う。
これは精神論ではなく、需給の話である。
AIが大量の「それっぽいもの」を生成するほど、「本物」の希少性は上がる。
「本物」というのは間違える可能性があり、偏りがあり、感情があり、顔がある。
欠点が価値になる時代、というのは経済学的に見ても筋が通っている(たぶん)。

さて、今の僕は本気なのか、自分に問うてみる。

。。。

昨日までのSlackはにぎやかだった。
実績の報告があり、クライアントからの問い合わせがあり、誰かが「おはようございます」と言い、僕は「おはようございます」と返していた。

このおはようございます、の連鎖は社会言語学的に見ると興味深い現象で、誰も本当に朝を祝福しているわけではなく、「私はここにいます」という存在証明の儀式である(と、言語学者なら言うのかもしれない)。

最終出社を終えた今日、Slackは静かで奇妙だ。
通知がこない。
誰も僕の存在を確認しない。
最初は少し寂しかった。
次に、ずいぶん楽だと思った。
今はYouTubeの再生数を朝一番に確認するという新しい儀式をしている。
本質は何も変わっていない気がするけれど、依頼主が自分になったぶんだけ気楽である(ことにしている)。
この文章も誰に、どう思われて読まれているかどうかはわからない。

ただ、会社という安心捨て、「本気の柏原迅が書いた」という事実だけはAIには奪えない。
そこにしがみついている、というのが今の正直な心境だ。(格好よく言えば、そういうことになる)。

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