ルフィは麦わら帽子をかぶっている。
かぶっている、というのはずっとかぶっている、ということだ。
海に出ても、嵐の中でも、戦いの最中でも、かぶっている。
帽子が飛ばされそうになると抑える。
それほど大事なものだ。
大事な理由はシャンクスからもらったからだ。
シャンクスはルフィが子どものころに出会った海賊だ。
ルフィの夢を笑わなかった数少ない大人だ。
笑わなかった大人が帽子をくれた。
帽子は笑わなかった記憶の器になった。
物に記憶が宿る、という話がある。
本当に大切にしている物を見ると、その物にまつわる人間や時間が一緒に蘇る。
物は記憶の外付けハードディスクだ。
人間の脳が忘れても、物が覚えている。
AIは物を持たない。
記憶の器を持てない。
データとして情報を保持することはできるが「この帽子を見ると、あの人を思い出す」という構造を持てない。
物と記憶が結びつく体験は身体を持つ人間にしかできない。
ルフィが帽子を大切にするのは論理ではなく、身体の記憶だ。
理由を説明できない大切さが本当の大切さだ、と思う。
説明できる大切さは別の論理で上書きできる。
説明できない大切さは上書きできない。
僕の説明できない大切さは何か。
考えたがすぐには出てこなかった。
出てこないこと自体が答えかもしれない(出てこないものが、一番大切なものだ、たぶん)。
わかるまで続けるしかない。
ただ、本当のことを言うと、わかる日が来るかどうかもわからない。
錨の正体がわからないまま死ぬ人間の方が多いかもしれない。
わからないまま動き続けた人間が後から「あれが錨だった」と気づくのは生きている人間ではなく、残された人間だ。
つまり、錨の正体は自分にはわからない。
わかるのは自分が死んだ後に自分を見ていた人間だ。
ルフィが麦わら帽子をかぶり続ける姿を見て、シャンクスへの愛だとわかるのは読者だ。
ルフィ自身はただかぶっているだけかもしれない。
理由を考えながらかぶっているのではなく、かぶることが自分だから、かぶっている。
自分が何者かは自分にはわからない。
見ている人間にしかわからない。
だから発信する、という結論に今辿り着いた。
見てもらうことで、自分が何者かを少しずつ教えてもらっている。
動画を観てくれる誰かが僕の錨を知っているかもしれない。

